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名古屋地方裁判所 昭和42年(ワ)1533号 判決

原告

河村征義

被告

山岸律郎

ほか一名

主文

一、被告らは各自原告に対し三五万円およびこれに対する被告山岸律郎は昭和四二年六月一〇日から被告山田菊雄は同月一一日から各々完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを四分し、その一を被告ら、その余を原告の各負担とする。

四、この判決は主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

(当事者双方の求める裁判)

一、原告

被告らは原告に対し、連帯して一五〇万円およびこれに対し被告山岸律郎は昭和四二年六月一〇日から、被告山田菊雄は同月一一日から各々完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告ら

原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする

との判決。

(請求の原因)

一、本件事故の発生および被告らの責任

(一)  被告山岸律郎(以下山岸という)は、昭和四一年二月二七日午前一〇時三〇分頃、普通貨物自動車(以下加害車という)を運転して、名古屋市守山区大字守山字市場一番地先路上を時速約二〇キロメートルで東進中、先行車に続いて一時停止していた原告運転の普通貨物自動車を約一一メートル手前において発見したが、ブレーキを確実かつ充分に踏まなかつた過失により、そのまま進行し、これに追突した。

(二)  被告山田菊雄(以下山田という)は加害車の保有者で、事故当時これを被告山岸に貸与していた。

よつて被告山岸は民法七〇九条により、被告山田は自動車損害賠償保障法三条により、原告が本件事故によつて蒙つた後記の損害を賠償すべき義務がある。

二、原告の受傷

原告は本件事故により、頸部神経痛兼頸椎損傷の傷害を受けたが当初は軽度の症状であつたところ、昭和四一年六月二〇日頃から著しい頭痛・頸部痛・頭重感・左手および肩のしびれ・左手握力減退(通常の二分の一程度)等の後遺症があらわれ、右同日から昭和四二年三月頃まで通院加療したが、右の症状は現在にいたるもなお治つていない。

三、損害

(一)  逸失利益 二七万円

原告は父親の経営する株式会社丸藤玩具製作所に勤務し、本件事故当時一カ月三万円の給料を得ていたが、前記後遺症のため昭和四一年六月二〇日頃から昭和四二年三月末頃までの間右会社を欠勤し、そのため昭和四一年七月分から昭和四二年三月分まで九カ月分合計二七万円の給料を得られなかつた。

(二)  慰藉料 一二三万円

四、よつて原告は被告らに対し前項の損害の合計一五〇万円とこれに対する本訴状が被告らに送達された日の翌日(被告山岸は昭和四二年六月一〇日、被告山田は同月一一日)から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める。

(被告らの主張)

一、請求原因中第一項(本件事故の発生および被告らの責任)の事実は認めるがその余の事実は争う。

二、示談の主張

本件事故については原告と被告山岸との間において、昭和四一年三月七日、同被告が原告の治療費および自動車修理代(四万三、九八〇円)を負担するほか示談金として一〇万円支払うことにより解決するとの示談が成立し、右金員を支払つた。

(示談の主張に対する原告の主張)

一、被告ら主張のような示談が成立したことは認める。

二、右示談は原告が前記のような重度のむちうち症であることを認識せず、かつその結果が治療方法がなく、現在のような生活上の支障を生ずることを予見できなかつた当時におけるもので、前記のような後遺症による損害についてまでその効力は及ばないものである。

仮に右後遺症による損害についてまでその効力が及ぶものとすれば、原告においてこの点につき錯誤があつたから右示談は無効である。

すなわち、本件示談は原告が頸椎損傷ということで友田病院で治療を受けていたが、医師の話によれば二週間もあれば全治するとのことであり、かつ原告においても刻々症状が軽快してきたので、後日前記のような後遺症があらわれることなど夢想だにしないまま、事故後わずか八日という早期に、被告山岸との間に金一〇万円(この中には原告運転車両の修理期間中の代車料、右車両の損傷による価格低減損害、原告の休業補償費等を含む)にて示談することになり、同被告から示談金一〇万円を受け取つた次第である。また被告山岸においても示談に先立ち医師から原告の症状を聞き、前記のような後遺症が発生することを予想もしなかつたのである。

(錯誤等の主張に対する被告らの主張)

一、錯誤等の原告の主張事実を争う。

二、本件示談は事故後一〇日程経た時点で成立した関係上、被告側も後遺症の点に疑念を抱き、特にこの点に留意し、万一、今後病状が再発しても一切の請求をしないという原告の確約を得て示談したものである。示談の時点では、ほとんど事故による傷害はなく、あつたとしても極く軽微なものであつたにもかかわらず、車の修理代の他一〇万円の慰藉料を支払つたのは、右の意味において、万一症状が再発した場合も、もはや何らの請求をしないという一種の危険負担の対価としての意味をもたせたものである。

従つて原告としては後に、万一病状が悪化した場合も、もはや被告に対してその損害の請求をなし得ないことを認識して示談したのであるから錯誤はありえないものである。

三、仮に錯誤があつたとしても、それは次に述べるとおり原告の重大な過失によるものであるから、原告は示談の無効を主張しえないものである。

交通事故における後遺症は事故後相当期間を経て病状があらわれる場合の多いことは周知のとおりである。

しかるに自己の病状、傷害の性質等に留意せず事故後早々に示談金を要求し、損害賠償の全面的な示談をしたのは、原告の重大な過失というべきである。

(証拠)〔略〕

理由

一、本件事故の発生事実ならびに被告らの責任原因事実については当事者間に争いがない。

右事実によれば被告山岸は民法七〇九条により、被告山田は自動車損害賠償保障法三条により、原告が本件事故によつて蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

二、次に本件事故について原告と被告山岸との間において、昭和四一年三月七日同被告が原告に対し治療費および自動車修理代のほか示談金として一〇万円支払うことにより解決するとの示談が成立し、右金員の支払をしたことは当事者間に争いがない。

ところで原告は右示談の効力を争うので、その主張の当否を検討する。

〔証拠略〕によると次のような事実が認められる。

原告は本件事故後数時間経過した頃から頸椎損傷により頭痛・頸部痛の症状がでてきたため事故の翌日である昭和四一年二月二八日から友田外科病院へ通院して炎症・浮腫除去の注射、湿布等の治療を受けたところ、順次症状が軽快しつつあり、また医師の診断の結果によるも二、三週間で治癒する見込みであり、更に同月一三日に結婚式を挙げる予定になつていたところから被告山岸に対し、賠償問題の早期解決を要求し、同被告においても原告の右のような症状の程度・経過および医師の言から原告の症状が軽いものであることを確認したうえ、これを了承し、同月七日右両者間において被告ら主張のような示談をした。原告はその後同月一八日まで前記病院へ通院して治療を受けたところ、症状軽快し、一旦治癒した。

ところが同年六月になり、頸部痛の症状があらわれたため、同月二〇日から再び前記友田外科病院へ通院して治療を受けるようになつたが、治療継続中に両手のしびれ感、頭重感、右肩痛、頭痛、左半身の知覚異常等愁訴が一定せず、レントゲン写真によるも異常が認められなかつたが、血液検査の結果、アスロー値が異常に高く、多発性ロイマチス神経痛を併発したことが確認され、以後これに対する治療を重点的に続けたところ、同年一〇月頃、症状が一旦軽快したものの一一月になると再び増悪する等一進一退をたどり、一時は医師から入院を勧められる程であつたが、昭和四二年になつてからアスロー値が下がり、症状な軽快し、同年三月一六日で治療を終えた。

原告の前記愁訴のうち頸部痛は本件事故に起因するものと推認されるが、その他の疼痛はロイマチス性の神経痛と認められこれは本件事故に起因するものとはいえない。

以上認定の事実を左右する証拠はない。

およそ事故により傷害を受けた者がその傷害を比較的軽微なものと信じている時期において早急に少額の賠償金をもつて満足し、その余の請求権を放棄する旨の示談をした場合は、将来の予想外の損害について格別に明示の特約をし、もしくはこれを考慮して合意したものと認められる特段の事情のないかぎり右の示談は示談当時に把握せられた損害のみを対象としてなされたものと解すべきである。

これを本件についてみると原告・被告山岸間に示談がなされた当時の原告の症状は前示の通り比較的軽微であり、しかも軽快しつつあつたのであり、医師の診断の結果によるも再発の恐れは認められず、被告山岸もこのような事態を確認したうえ、事故後わずか八日という早期にたかだか一〇万円余の少額の金額(しかも休業補償費は一万五、〇〇〇円、慰藉料は一万円である―甲第八号証)で示談をしたのであるから、右の示談は示談当時の原告の症状を前提として把握された損害だけを対象としたものと解すべく、再発による後記損害は別個に請求しうるものというべきである。

三、損害

(一)  逸失利益 二〇万円

〔証拠略〕によれば、原告は本件事故当時株式会社丸藤玩具製作所に勤務し、一カ月三万円の給与と年二回(七月と一二月)各二カ月分の賞与を受けていたが、前示症状のため昭和四一年七月分から昭和四二年三月分までの給与と昭和四一年分の賞与(合計三九万円)をえられなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかしながら、前示のとおり原告の症状は本件事故に起因する頸椎損傷だけが原因とは認められないから右の逸失利益のうち二〇万円に限つて本件事故による損害と認める。

(二)  慰藉料

前示の本件事故の態様、原告の受傷の程度その他諸般の事情(特に原告の症状の内容・原因、原告・被告山岸間に一旦示談が成立したこと)を斟酌すると原告の慰藉料は金一五万円が相当である。

四、よつて原告の被告らに対する本訴請求は三五万円とこれに対する本訴状が被告らに送達された日の翌日(被告山岸につき昭和四二年六月一〇日、被告山田につき同月一一日)から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲内で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 西川力一 高橋一之 村田長生)

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